暗く長いトンネルのようなコロナ渦。緊急事態宣言が一旦解除となったばかりの、去る10月2日。

ご来場の皆様ならびに酒を協賛いただいた皆様、お手伝いを頂いた仲間たちのお陰で無事「月ヶ岡茶寮」と銘打った、小生開催の酒宴の開催が叶った。

 かつて北大路魯山人が主宰した料亭が「星ヶ岡茶寮」という。魯山人が「星」であれば私は「月」にしようと勝手にその名をパクっ・・いや、オマージュしたのがこの宴の名の由来。

 料理や器、しつらえといったものはどんなに手を伸ばせど「星」に届くことは無い。しかし「星」より地球に近い「月」なら手に届くやもしれぬと、親しみやすさに意を込めた。こと日本酒のチョイスに関しては、魯山人には負けぬ自負があるが、残念ながら彼の時代には、令和の世にある旨い日本酒とその多様性はなく、勝負のしようもないのだが。

 現代の日本酒の旨さと食との相性の面白さを、世界中に伝えるという夢が、私にはある。誰に頼まれたわけでもない自ら勝手に背負った責任感。この会含め、私の酒の会は、そういった情熱のもとで開催させて頂いている。

会場は青山のとある「クラブ」。

 日本語のイントネーションは不思議だ。英語の発音で言えば「club」は「ラ」にアクセントがあり、銀座で麗しい美女と無駄金を使い酒を呑む方のクラブは「ク」にアクセントが付く。どこにもアクセントが付かない平坦な発音の「クラブ」。若者が、大音量の音の洪水の中で踊ったり呑んだり、ナンパしたりする方の「クラブ」を、貸し切った。

 こういう場所で日本酒の宴を開催する前例は恐らくあまりないと思う。しかし、今後日本酒が飲まれるシーンを、寿司屋や割烹、日本料理屋、居酒屋などに限定せず、世界の一流ホテルのバーから、若者が集うクラブや、フレンチや、中華の名店。そして市井の酒場にまで・・・。日本酒を、ワインやシャンパンのように世界中で親しまれる「SAKE」としての地位を獲得させるという私の壮大な野望の為には、必ず踏まねばならない階段の一段。気合は入る。

 予想通り「予想外」だった部分もある。

 イメージでは、会場のドアを開けると、この雰囲気に合わせた最高に高ぶる香水を酒器を改造したアロマポットで焚き、導線に美しいキャンドルを転々と並べ、宴の進行に合わせ用意した60曲をダンスフロアに流す・・・筈だった。しかし、会場のドアを開け私は青ざめた。

 思えば打合せの際に会場の費用で大きく揉めたことから問題は始まっていた。会場に着いてみると、貸切りだった筈のホールに見慣れぬ人物たちが屯している。実は、内覧の際に私が「使わない」と言った、サブ・ダンスフロアに、あろうことか結婚式二次会パーティを突如当日ブッキングされ、会が始まる時間帯に及んでも、私が貸し切ったメインフロアをウロウロされるという始末。さらにはサポート担当はそちらの二次会に捕まったままで、受付担当も居らず、セッティング指示も伝言もできぬ制御不能状態。茫然自失、今思い出しても腸が煮えくり返るのだが、そもそも500人収容可能・100人着席可能な青山(住所は赤坂)のクラブを貸切って、50人の仲間内で愉しむという贅沢なイベントとして考えれば賃料の安さは破格だった。折しも、前々日までコロナの緊急事態宣言で貸せぬはずのクラブを1か月前に交渉して抑えられたのは、一か八かの賭けだったとはいえ幸運と言って良い。「良い勉強」と捉えるほかない。

 こみ上げる殺意の中、自らを説得しながら、早めにいらしたお客様をバタバタでお迎えし、フロアの片側に誘導。皆様がそろったところで「乾杯酒」として用意すべく酒屋を駆けずり回って手に入にれたスパークリング日本酒・「七賢」の「アランデュカス・スパークリング」を、「ウェルカムドリンク」として急場しのぎに出すことにした。既に世界に数十本と無い、超希少な第一ロットである。

 お粗末でバタバタなスタートを笑顔で快く受け入れた下さった来場者の皆様、何より、有志で積極手に手伝いをしてくれた友たちを見て、ああ、私はやはりどんな時にも仲間には恵まれている・・・心からの感謝をもって、その怒りをアラン・デュカスの泡と共に、華やかに昇華させた。

そして改めて、開催に当たり、協賛ををくださった磯蔵酒造の磯社長、八戸酒造の駒井専務に心よりお礼を申し上げたい。

続く。